横浜ジュニアバドミントンクラブ のコーチ陣
プロフィール : 三橋 恭啓 (みつはし やすひろ)
![]() |
小学,中学,高校と野球のエース,中学,高校,大学ではハンドボールもしていてポストプレーヤーとしてポイントゲッターでした. ハンドボールでは中学時代には県優勝,高1の時には埼玉で開催されたインターハイにも出場しました. サウスポーのポストプレーヤーとして先輩たちから倒れ込みシュートの猛特訓を受けました. 中学生でも,この頃からスカイプレーの練習を始めていました. ハンドボールでは3年後輩の松井君が全日本プレーヤーとして活躍していました. 彼はNHKのハンドボールの解説者としても有名でした. 中学2年の秋には陸上部の市の新人戦にもかり出されて,ハイジャンプで160cmの記録で2位に入賞しました. 正式な練習を積んでいないので正面跳びでした. (^o^ |
![]() |
高校では野球とハンドボールをかけ持ちでこなしていました. 3年生の時には甲子園を目指した県予選の保土ヶ谷球場で,準々決勝で武相高と当たり0-2で敗れ涙をのみました. 巨人に入団した阿波野君は後輩にあたり,指導したことがあります. (^o^ 3人いる,息子達にも小学校低学年からずっとソフトを教えていました. トモがピッチャー,ヒロがキャッチャー,マーはレフトを守っていました. トモには本格的なウィンドミル投法を教えました. その球速で全国も狙えたのですが... |
![]() |
バドミントンを始めたのは30歳を過ぎてから. 大学時代,県トップのテニスプレーヤーとテニスと野球以外の他のスポーツで競いたいと2人で話して勤務先の近くのスポーツセンターで始めたのがきっかけでした. 得意なショットは野球とハンドボールで鍛えた,スーパーサイドアームストロークです. ゴルフも師匠である弟に誘われて29歳で始めました. その夏は1ヶ月間 仕事から帰って練習場に直行. 一日 500〜700球程度の練習をこなしました. 妻は呆れて笑っていました. (^0^ コースにも月4回程度のペースで臨み,その甲斐あって1年でシングルス,ハンデ7まで上がりました. コースのメンバーにもなり社会人の大会でも優勝しました. その師匠でもあり,最大 最高のライバルであった弟の紀啓(のりひろ)が39歳でガンで他界してしまいました. それ以来,ゴルフとは遠ざかってしまいました. 今でも自宅の地下室にある納戸には,その思い出が一杯詰まったゴルフクラブ,バッグ,シューズが大切に保管してあります. いつの日か,今度は妻とでも一緒にコースに出たいと思っています. このホームページのプロデューサーもしています. |
お問い合わせはメール/電話/ファクスでどうぞ
045-364-0729
045-364-0703
2000 Copyright Yokohama Junior Badominton
Club by 384
Produced & Designed by 384 Yasuhiro Mitsuhashi